勇気をくれた時計
今年、中学に入ったばかりのりょうくんは、
学校帰りのいつもの通学路を
友達とカーブミラーのある角で別れてから
一人でぼんやりと歩いていました。
どうせ、急いで帰ってもママは仕事で居ないし、
自分で鍵を開けてお家に入り・・
先ずは昨日どうしてもクリアできなかった
テレビゲームの闘いを開始するだけです。
パパが居ないのでママは一人で遅くまで働いています。
半年前、一緒に暮らしていたおばあちゃんも
死んじゃったのでさみしいのですが、
りょうくんは必死になってがんばっている
ママを見ていると
さみしいなんて言えませんでした。
だから大好きなママの前では、
いつもひょうきんに動物のまねをしたり、
お笑い芸人の物真似をしてママを笑わせます。
そんな優しい男の子なのですが、
お勉強のほうは苦手です。
テストの日と授業参観日は、りょうくんにとって
『世界の終わり』が目前にあるかのようですから、
態度が豹変してしまいます。
それでママには
「ふ~ん、テストかなあ?」とか
「授業参観日が近いなあ」と一目瞭然、
すぐ分かってしまうのでした。
そんなりょうくんが今日も
『ぼんやりトボトボ』通学路を帰っているのは、
3日後にテストが待ち構えているからなのでした。
お家の近くの桜の木のある曲がり角まで、
ダルそうにしながらたどり着いた時です。
葉っぱだけになった桜の木の下に、見たことのない
白い髭(ひげ)もじゃのおじいさんが
右のお腹を下にして横に倒れています。
ぼんやりトボトボのりょうくんに
突然緊張が走ります。
急いで近づくと
汗なのか何なのか分りませんが、匂いが漂います。
『どうしようかなあ?きっとホームレスの
おじいさんに違いないぞ』
少しためらいました。
『でも、やっぱり大変なんだ。声をかけよう』
と、決めてすぐそばまで行くと
「う~~ん。頼む、救急車は呼ばないでくれ」
お髭のおじいさんが語ります。
りょうくんが
「でも・・でも・・」
迷っていると、おじいさんが
「わしの服の右ポケットの中から・・
時計を取ってくれないか・・ぼうや・」
と、静かな声を出します。
りょうくんはおじいさんをそっと仰向けにして、
ちょっと汚れた茶色のジャンパーに触れました。
「ポケットの・・中じゃよ・・」
唸るような声にりょうくんは奮い立ち、
おじいさんの頭の側に廻ってから右手を伸ばして
右ポケットを探ってみました。
何やら硬い小さな物を指の先に感じて
中から取り出しました。
おじいさんの手に渡そうとしたら
「ぼうや・・これは、わしの唯一つの財産じゃが・・
こうして行き倒れになった以上は・・
ぼうやに上げるから・・
うけとってくれ・・そして役立ててくれ」と語り、
微笑んで眠ってしまいました。
りょうくんは慌てて
「おじいさん!おじいさん!」
起こそうとしましたが、返事をしなくなりました。
そこへ近所の早口のおばさんが通りがかり
「どうしたの?だあれ、この人?
この辺の人じゃないわね。どこから来たのかしらね。
あっ!思い出した、思い出した!
この人は西の山奥で一人で仙人みたいに
暮らしている人だわ!
それにしてもなぜここにいるのかしらね。
でも、でも・・まあ大変。救急車を呼びましょう!」
しゃべりまくり、桜の木を植えている家の門から
入って行ってしまいました。
『多分119番通報しに行ったんだ』
りょうくんはそこで立ち止まったまま
ジッとおじいさんの顔を眺めていました。
『おばあちゃんの時と同じだ。きっと、
死んじゃったんだ・・』
涙がスーッとりょうくんの頬を伝い、
おじいさんの茶色のジャンパーの上に落ちました。
たまらなくなったりょうくんはお家まで逃げるように
走って行き、死んだおばあちゃんの皐月(さつき)の
盆栽の下から、お家の鍵を取り出してドアを開け
急いで中に入りました。
かばんを置いて、
ふと気が付くと自分のズボンのポケットに入れていた
おじいさんから貰った「時計」という物を思い出し、
取り出します。
それはどう見ても「時計」ではないように見えますが、
見方によってはやっぱり「時計」です。
おじいさんのジャンパーと同じ色の木製の塊で、
1から12までの数字が順不同に赤い色で
掘り込まれています。
りょうくんの握った手の中に
ちょうど収まるほどの大きさです。
松ぼっくりのように、でこぼこの形ですが、
表面は滑らかに磨かれていてピカピカです。
りょうくんは手のひらの上であちこち回したり
机の上で転がしたり軽くたたいたりしてみましたが、
別に不思議なところはなく、
「やっぱり、時計なのかなあ~。
昔の時計なんだろうなあ」と、結論しました。
テストの前でも勉強はしたくないのです。
でも一応、机に向かい鉛筆を持ちポーズをとりますが、
やっぱり気になる「時計」をいじります。
「数字がでたらめだよ。
順序に並べば役に立つかもしれないのになあ・・
まず1時の1だよ」
ぶつぶつひとり言をつぶやきながら
ランダムに彫られている赤い『1』の数字を
鉛筆の先で押しました。
と、次の瞬間です。
りょうくんの目の前の「時計」が突然、
ピカッー!
と光りだしたのです。
りょうくんは目を開けていられず、思わず閉じました。
ソウッと目を開けると
自分の机があり、椅子に座っているはずなのに・・
そうではなく、フロアーの上にうつ伏しているのです。
『なんだなんだ!この格好は・・』
起き上がろうとして
ヨイショ!
と立ったら・・
「パチパチパチ!」と拍手が後ろから聞こえます。
『え~ッ?』
と、振り向くと、
そこにはいつものママが目を細めて
両手を広げているではありませんか!
でもなぜかママが若く見えます。
「りょうく~ん、アンヨが上手よ~がんばれ~」
はしゃぐママにりょうくんは初めて異常を感じ取り、
今、自分がどんな体になっているかが
分りかけてきました。
ためしにママに声をかけてみる事にします。
『ママ、ぼくはどうしてこんな所にいるの?
どうして目線がこんなに低いの?』
と、言ったつもりでしたが、出た音声は
「マンマ・・ン、マンマ!」でした。
ママは
「うんうん、ウフフッフ」と嬉しそうに答えるだけ。
りょうくんは、はっきり分りました。
今、自分は一歳児に戻り・・
優しいいつものママと一緒に以前のお家に居るのだと。
『夢かもしれない!いや、夢じゃないぞ!本当なんだ。
だったら、なぜ?う~~ん・・落ち着いて考えよう。
待てよ!あっ!そうか、あれのせいだ!あれだ。
あの「時計」に違いない。
「時計」はどこだろう?あるぞ・・』。
オーバーオールのお腹のポケットの中でした。
『きっと今は1996年なんだ。僕が生まれてから
一歳で歩いたってママが話してたもの。
どうしようかなあ・・
しばらくこのままで様子を見てみよう!』
決めました。
楽しいよちよち歩きでママを喜ばして
大サービスのりょうくんでした。
夕方、パパが帰ってきました。
パパはにこやかに
「よし、今日はパパがお風呂に入れるぞ~」
と張り切っています。
『ふ~ん、パパってこうだったんだなあ』
りょうくんは観察しながら、
お風呂に入る準備にオムツを外すパパの顔を見ていたら
お尻のようすがご機嫌になり
「シャーッ!」とおしっこが出てしまいました。
途端にパパが
「なんだ!こいつ!またも俺の顔に
おしっこをしやがって!いつも俺のときだけだぞ!
おい、玲子~何とかしろよ!」
すごい剣幕でママを叱るのでした。
『えっ、僕がパパの顔におしっこかけたのに、
どうしてママが叱られるんだろう?』
・・りょうくんには理解できませんでした。
ママがおろおろしながら
赤ちゃんのりょうくんを抱きしめて
パパに謝っています。
それでもパパの怒りは収まりません。
「玲子、お前が俺にはなつかない様にしてるんだ!
クソッ」と、大声でののしります。
りょうくんは自分のせいで
パパとママが喧嘩になっていた事を初めて知りました。
見ているのが辛くなったりょうくんは
ママの腕からするっと抜けて、オーバーオールまで
ハイハイして急ぎ、ポケットから出したあの木の塊の
「時計」の数字「12」を小さな指先で
思いっきり押したのでした。
次の瞬間、
りょうくんは12歳に戻り自分の机の前に
座っていました。
さっき見た自分の一歳の頃の様子をもう一度
かみ締めてみました。
涙が溢れてきました。
パパとママが離婚したのは、自分の為だったんだと
思い込んでしまいます。
だから自分を連れて実家に戻ったママは、
おばあちゃんと3人で暮らし始めたんだ。
りょうくんは、机の上においた
「時計」をじっと見据えながら考えます。
「確かめる方法はあるぞ!
おばあちゃんがまだ生きていた頃にタイムスリップ
すればいいんだ~」
さっそく「時計」のでたらめ順の数字から
「10」を選んで鉛筆の先で押しました。
「さあ~来るぞ!」と身構えて目を閉じます。
やがて目を開くと、今いた部屋の同じ机の前でした。
「うん、僕は今10歳なんだ。
おばあちゃんが台所にいるはずだから、
パパとママについて・・本当のことを聞いてみよう」
水の流れる音のするお台所へ向かい、
「おばあちゃん!」と後姿に声をかけました。
すると
おばあちゃんが
「あ~、分ってるよ。お腹がすいたんだろう。
今出来るからね~」
すかさず答えてくれました。
りょうくんは
『今だ!』と思います。
「あのね~あのね~おばあちゃん!
僕のパパとママが喧嘩ばかりしていたって聞いたけど。
それって、もしかしたら僕のせいだったんじゃないの?
本当のことを教えてよ。もう10歳なんだからさ~?」
エプロンでぬれた手を拭き拭き、
おばあちゃんが振り向きます。にこにこしています。
「ふうん、もう10歳だからだって?アハッハッ!
おもしろいねぇ、りょうくんは。
パパとママの・・理由ねぇ。りょうくんには余り
関係はないと思うよ。わたしも詳しくは
知らないんだよ」と、おばあちゃん。
「でも、僕は知りたいんだよ」
迫るりょうくんに対して
「知らない方が良いことが
世の中にはたくさんあるんだよ。
ママが好きならママが話したくない事を
聞かない方がいいんだよ~」
交わされてしまいました。
さらに
「それよりママが喜ぶ事をやる方が大切じゃないかい?
違うかい?10歳のりょうくん?」
おばあちゃんは笑っています。
「なんだろ~ママが喜ぶ事って?」と聞き返すと、
「まあまあ、10歳なんだろう?
もう少しだけ学校の勉強を努力すればママ喜ぶよ~。」
「あっ、そうだね・・」
答えながらりょうくんの顔が熱くなりました。
りょうくんの頭の中は
『しまった~!また12歳に戻るしかないなあ』
でした。
おばあちゃんの元気な顔を心の中に焼き付けるように
眺めてから・・自分の部屋に戻りました。
そして時計を使い、次の瞬間、
りょうくんは12歳に戻り
自分の机の前に座っていました。
おばあちゃんの言うとおりなんだ!
僕は勉強を頑張らなきゃないけど駄目なんだ。
やっぱりママを喜ばす事なんか出来ないよ。
それに何よりも
『自分がいることで周りの大好きな人たちに
悲しみを与えているのではないかなあ~』
優しいりょうくんは傷ついていました。
パパもママもおばあちゃんも大好きでした。
『周りの人たちを不幸にする僕は、
いないほうがいいのじゃないか?』
とさえ思えてきました。
『どこか遠い所で・・そう離れ小島か、山奥で一人で
住んでみよう・・きっと、その内に死んじゃうから。
誰も悲しませないためにはこの方法しかないや』。
だんだん悲観的になってきます。
でも、そこはひょうきん者のりょうくんです。
「その前に未来に行って見よう~っと。」
数字を足すように2回押せばいいんじゃないかな・・
と思い、「時計」の「12」を二度押してみました。
あっと言う間に24歳のりょうくんに早代わりです。
「ここはどこだろう?すごい山の中だなあ・・。」
そうです。
りょうくんが先ほど決心した通りのことが
起きていたのでした。
顎(あご)の辺りがむずむずするので触ってみたら、
髭がもじゃもじゃです。
「うわ~っ!」
驚いて後ろに転びそうでした。
りょうくんの背中が何かにぶつかりました。
振り返ると手作りの山小屋です。
それも小さくて屋根も低くて大丈夫なのかな?
と心配になるほどでした。
力を抜いて入り口の薄い板を開き
中に入ろうとしました。
でも、
右足を前に出しかけて
りょうくんはある事に気が付きます。
「あの時・・そうだ、
あのおじいさんが倒れていた時、・・」
近所の早口のおばさんが語った言葉です。
「そういえば・・時計をくれたあのおじいさんの事を
山奥に一人で住んでいる仙人みたいな人!って・・
言ってたっけ。」
背中に水を浴びせられたような感じがしました。
それで
小屋の中に入るのを思いとどまり、
いったん12歳に戻って考える事にしました。
またしても、
自分の「今」に戻ったりょうくんは
相変わらず机の前で座っていました。
例の「時計」を机の上で転がしながら、
改めて考えて見ました。
なぜ?あのおじいさんは、
深い山奥でたった一人で暮らしていたのだろうか?
なぜ?僕まで将来同じような山奥の
誰も居ない所に住むようになるのだろう?
僕はそうしようと思ったからだけどさ・・。
おじいさんにもきっと家族や親戚はいた筈なのに・・。
僕は、大好きな人を悲しませたくないから
一人で身を隠そうと思ったけど、
おじいさんはどうだったんだろう?
う~ん・・もしかしたら僕と同じ理由だったりして?
周りの人たちに迷惑だからって思ったのかも
しれないなあ~。
それにしても凄い山の中だったなあ!
身を隠すにはいい所だけど・・。
おじいさんもこの『時計』でタイムトラベルを
してみたんだ。
だったら楽しいはずさ。
それなのに、なぜ町のこの近所まで出てきたんだろう?
どんなに考えてもりょうくんにはそれ以上は
分りません。
グルグルと同じことばかり繰り返しているだけでした。
やがて
「おばあちゃんの言ってた通りだ。
おじいさんの事は知らないほうが良いのかも
知れないなあ・・」と、ポツリ!
そして
「周りの人の迷惑になるからって居なくなるよりも・・
大好きなママに喜んでもらえることを
頑張ってやる事のほうが良いのかもしれない・・。」
「うん!僕は逃げないぞ!頑張って勉強してみよう!」
ちょっぴり残念そうな気持ちも混じったまま決心しました。
りょうくんは椅子から立ちあがります。
家の中はすっかり暗くなっていました。
その時
「ただいま~!」ママの声です。
「おかえりなさ~い」と、りょうくん。
「あ~っ!りょうちゃんいたのね!
明かりがついていないから、居ないのかと思ったわ。
りょうちゃんがいなくなったら、
ママどうしたら良いのか分らなくなってしまうわ。
ああ良かった~!寝ていたのね?」とママです。
りょうくんの返事を待たずにママは続けます。
「いいわ、いいわ。テストが近いのでしょうけれど・・
何よりも、りょうちゃんが元気で楽しくしていて
くれるのが・・ママの幸せ!だから」
と笑いました。
「本当に、そうなの?ね、ママさ~?」
りょうくんには驚きでした。
お台所に向かって、ふくらんだ買い物袋を運びながら
ママは
「あ・た・り・ま・え!母親は皆そうなのよ」と言う。
『そうだったんだ~。ママの喜ぶ事って
僕が元気でここに居る事なんだ。簡単じゃないか~』
ホッと安心したりょうくんは、自分の部屋に急いで入り
机の上においてあった「時計」を掴(つか)み、
台所のママのところへダッシュです。
「ママ!聞いてよ。実は僕はタイムマシンを
貰ったんだよ!」
興奮して大声で語るりょうくんの言葉に
「そう~よかったね」とママ。
「ママ!本当なんだよ。
僕は1歳のときに戻ってみたし、
死んだおばあちゃんにも会ったよ。
桜の木の曲がり角で死んじゃったおじいさんに
貰ったんだよ!
ほら、これがそうなんだ!」
ますます大きな声になるりょうくんです。
木の塊の「時計」をチラッと見たお母さんはにこやかに
「へ~ッ、これがタイムマシンなの。
木彫りの素敵な作品ね。
きっとそのおじいさんの手作りなのね。
買い物したときに、この近所の道路で亡くなった
老人の事を聞いたわ。
かわいそうにね・・大切な遺品になるわね。
大事にとって置きなさいね」と答えます。
りょうくんは
「見ていてね!18歳へ瞬間移動だ~!」
張り切ってママの腕を掴みながら
「時計」の「12」と「6」の赤い数字を
強く押しました。
次の瞬間
「そうなの。分ったわかった!」とママ。
さっきのままです。
何も起きなかったのです!
りょうくんはビックリ仰天し、急いで
何度も「時計」を押してみましたが変わりません。
ママは大声で笑い
「りょうちゃんたら!またふざけて~。
食事の支度が終わったら、またその話を聞くからね。
アハッハッ!」と
お腹を抱えます。
「時計」は、
りょうくんが誰にも話さないでいたときだけの
不思議なタイムマシンだったのでした。
りょうくんは一人で何度も試しますが・・・
その後、何も起きませんでした。
やがて、りょうくんは「時計」の事をあきらめて
本箱の前に飾って眺めるだけでした。
でも見るたびに
『僕は何事からも逃げないぞ!』
という励みになる思いを持てるのでした。
そして実際りょうくんは逃げませんでした。
ひょうきん者は、そのままですが・・。